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2012年もあとわずか

間もなく年が改まるが、今年もバタバタとあわただしく一年が終わろうとしている。
思い返せば予定や計画通りにに行かないことが多く、特に牧草地の除染のための
更新作業が中途半端で中断していること。来年春には仕上げてしまわないと。
経営の点では我が家の収入の柱である子牛の販売はまあまあの結果、売れば金に
なったであろうメスをかなり保留したので資産としては増えた。昨年夏から秋にかけて
セシュウム問題で子牛価格が暴落したときは、どうなることかと心配したが、回復が
早かったので助かった。最近枝肉価格も回復してきたということなので、あとは景気が
良くなってくれればいいが。   いずれ、自分のできることをコツコツやるだけ
今朝は久々に氷の張らない朝で楽だった。明日 元旦ぐらいはゆっくりしたいので
一週間後にお産をひかえた牛を産室に移した。さち(安平幸ー金幸ー平茂勝)PC310001.JPG
昨年8月の鹿児島導入牛 腹の中は花国安福初めてのお産なのでちょっと心配
もう一頭はきくひら(平茂勝ー菊谷)、これは期待したほど育種価が良くなかったので
受精卵を入れてある。平茂晴ー平茂勝ー安福165-9-みちふく)という有田牧場由来の卵PC310004.JPG
あとの2頭はもう少し時間的余裕があるので1月になってから移動しよう。  

さて来年はどんな年になるものやら・・・

穏やかな一日 [自然・気象]

師走なので 小春日和 とは言わないだろうが、穏やかに晴れ暖かい日だった。
おかげで牛舎の屋根の雪が落ちて明るくなった。PC290009.JPG
子牛達も親元を飛び出し外を走り回るし、親は心配して鳴くしPC290002.JPG
今月11日に生まれた安福久♀もまあ順調に育っている。期待の1頭PC290005.JPG
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昨夜生まれた牛 [牛]

夜半から風が強く吹いているなー、と思いながら寝ていた。朝起きてみたら吹雪模様。
昨夜生まれた子牛を心配しながら牛舎に行くと、雪を浴びながらも元気で居てくれた。PC260002.JPG
しかし、牛舎東側の育成牛群には雪が吹き込んで、雪ダルマ状態。PC260003.JPG
冬の対策を何とかしなければ、とは思っているが経費の工面と、何より構造上の問題が
あって手つかずで5年経過してしまった。いずれ何とかしないと・・・

今年もクリスマスにお産 [牛]

12月20日が分娩予定日だった やすはなきく(安平ー花国ー菊谷)が今夕お産した。
この牛は昨年も25日クリスマスデーにお産している。
http://hukumasa.blog.so-net.ne.jp/archive/201112-1
昨年も寒かったが今冬も寒く、昨日などは陽の当たらない所は雪、氷は溶けず真冬日
だった。特に夕方などは顔に当たる風がチクチクするぐらい冷たく、この寒さは半端じゃ
ないな、と温度計を出してみた。精度の高いものではないが-10度まで下がっていた。
しかし今朝は-5度ぐらいだったので寒気の塊が通過したのかも知れない。
今回のお産が昨日で無くてよかった。牛はお産のタイミングを図っていたのかもしれない。
今日はいくらか気温が上がりウオーターカップのパイプも溶け水が出た。
夕方6時頃お産に気づき、わらを足し、風よけにコンパネを立てた。PC250001.JPG
破水して1時間近く経過しても足先しか出てこない。夜遅くなると寒くはなるし、助産が
必要となったとき人の辛いので助産した。案外簡単に生まれ標準的大きさの百合茂の♂
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2時間程してから様子を見に行くと、力強くオッパイを飲んでいたのでこの寒さも
乗り越えるだろう。PC250002.JPG

稲わらサンプリング [農作業]

乾らっとシートを使った稲わらの保存試験というこで10月末に被覆していた。 約2か月
経過したところで、今日サンプリング、湿度変化やベータカロテンなど調べるとか。PC220001.JPG
この前 風でシートがはがれた時、乾きにむらがあって湿気が上がってきて中心部が
濡れた状態のロールが見受けられたが、今回上から見たがカビなどは見えなかった。PC220003.JPG
ただ、寒くて結露が見られた。水蒸気は通しても氷になっては抜けて行かない、ということかPC220004.JPG
サンプリングはホールソーで1ロールから2か所、PC220006.JPG
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南東と北西のそれぞれ2個、計4個からサンプリング。どんな結果が出るか興味津々。

思い出の旅 3 [古い写真]

私が25~26歳の頃のアジアうろつきの旅もそろそろ締めくくりとしたい。
インドはとても広く私が辿ったのは、パキスタンに向かう途中あちこち寄り道した北部だけ、
前回はタージ マハールでの写真までだったが、もう一ヵ所立ち寄ったのがカジュラホの
寺院群。1000年も前の王朝の都で、寺院を造って神様に捧げたということで、20余の
寺院が点在していた。IMG_0001.jpg
石造りの寺院の外壁には官能的彫刻がい~ぱい 
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ここから更に西に向かいパキスタンのラホールにたどり着いたところで発熱、倦怠感、
尿が紅茶色になり肝炎の症状が出た。しかたがないので旅を中止して帰途に就いた。
バンコクに戻ってくると中国人の店で日本食に近い物、おかゆや豆腐などを食べること
ができいくらか元気を回復できた。行くときバンコクで作った偽学生証はインドで切符を
買う時など学割を利かせることができたが、時には断られたりしたことがあったので、
投資額を回収できたかどうか怪しい。また、お札のすり替え詐欺にもあった。場所は
忘れたが、駅で切符を買おうと50ルピー札を渡したらすぐ突き返され、これでは足りない
と5ルピーを返された。確かに50だったのにカウンターの中ですり替えられた。そんなはず
は無いと言いかけたが言葉が解らない。あー、本の中に書いてあったっけ、札を渡す時は
相手に金額を確認させてから渡さないとすり替えられる事がある、と。
また、インドにカメラを持ち込んで売ると儲けが出る、と聞いていたので東京で中古の
カメラを買いこみ、コルカタ(カルカッタ)の市場で売ったが、受け取ったのがルピーなので
いくら儲かったかよく分からなかった。それだけに出国の荷物検査で「2台持ち込んだカメラ
が1台足りない」ということで罰金を取られると困るので、どこでだったか警察に行き盗難
証明書を書いてもらっておき、それで事なきを得た。とにかく、アジアの旅は怪しげなことが
一杯で肉体的んはもちろん、精神的にタフでないと乗り切れない、事を実感した旅でした。

もう36年も前のお話でした。


農場訪問2日目 [牛]

19日はJAみちのく村山の本店にお邪魔して、高橋部長さんから管内の畜産、主に1万頭
居るという肥育牛を中心に、畜産の概要やJAの取り組みについて伺った。その後農場
見学。まだ新しい150頭収容の牛舎。PC190023.JPG
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ここも県南からの牛が何十頭か入っていた。PC190027.JPG
そしてもう一軒、ここは更に大きな牛舎で奥行100m、500頭収容PC190031.JPG
別な牛舎と合わせて700頭程飼養しているとのことだが、肥育成績はトップクラスとか
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ウチの農協には肥育牛が1000頭ということなのでその10倍、供給するエサだって10倍
これだけの取扱い量があれば価格交渉するにも強いことが言えるし、何かとスケール
メリットが出てくる。
簡単にはまねができないがいい勉強になった。

農場訪問 [牛]

18日19日と山形県JA村山様と管内の肥育農場を訪問、私たちの市場からのご購買
お礼と農場見学、懇談・懇親会をしてきた。時期が時期だけに鳴子辺りから雪が多くなり
奥羽山脈を越えた尾花沢は1度は50Cmも積もったとかですっかり雪景色。昼飯は
美味しい蕎麦をたべようと訪れた蕎麦屋は順番待ち。駐車場もいっぱい。
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30分ぐらいの待ち時間、というので並んだ。座敷に上がっていただくのだが、廊下から
玄関まで行列、先月鹿児島でも加治木まんじゅうを買うのに1時間並んだが、ここでもPC180003.JPG
蕎麦にありつくまでやっぱり1時間だった。注文したのは板蕎麦大盛PC180006.JPG
1時間も待ったので美味しくいただきました。つゆはもうちょっと濃い目の方がいいかも
先ずお邪魔したのが約1000頭を飼育されているという法人化されているO氏PC180010.JPG
牛房は昔の牛に合わせて作ってあるということでちょっと窮屈そうに見える、PC180011.JPG
しかしこの様に3頭が出荷まで一緒に同じ房で暮らすということで事故も無いそうだ。
O氏には今年3月に忠富士のメスを買って頂いており久々に対面してきた。PC180013.JPGPC180017.JPG
上場した時にも大きかったが順調に育っているようで、あと1年半後の結果が良ければ
いいが。ここの畜産団地には150頭も200頭も入る牛舎が連なって、規模の大きさに
圧倒される。ここに見えてるだけで半分ぐらい。PC180018.JPG
夜には生産者が経営する焼肉ハウス 金鶴にて懇談会PC180019.JPG
様々な情報交換も有意義だったが、肉も美味しくいただきました。PC180020.JPG

思い出の旅 2 [古い写真]

今日の衆院選挙で自民・公明が大勝のようだ。3年前政権交代した時期待が多きかった
だけに、がっかりし、また政権が代わってもどうなることやら・・・他の党も今の困難な状況
を打開する明確な解決策を持ち合わせていないし、まったく 困ったもんだ。
ブログでは政治と信教の事には触れないつもりだったが、つい愚痴が出る。
さて、書きかけの思い出の旅
ネパールから又インドに入り、ヒンドゥ教の聖地ヴァラナシに向かった。そのバスの中で
ヴァラナシ ヒンドゥ ユニバーシティの学生と親しくなり、誘われるまま大学構内の学生寮
に投宿。約1週間ほど泊めてもらったが宿代、食費は掛からずありがたかった。
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ヴァラナシではヒンドゥ寺院など見学したが、最も興味深かったのが火葬場。聖なる地で
死に、ガンジス河の岸で火葬され灰となって河に入るのが最上の終末と、いうことで
あちこちに死を待つ人々の家や小屋があり、川岸に火葬場があった。IMG_0010.jpg
お金のある人は薪を十分用意できるが貧しい人は生焼けのままドボンということもあるとか
まさに地獄の沙汰も金次第  か。この火葬の写真を撮るにも金を払わなければならない
らしいが、勝手に撮影したところを見咎められ追いかけられちょっとビビッた。
当時、ブルース リーのカンフー映画が流行っていたころで、東洋系の顔を見ると空手を
やってみせろ などと言われた。大学内でも私が習っていた拳法をちょこっと披露IMG_0012.jpg
大学内の農場には牛も居て牛舎や圃場を見学。IMG_0013.jpg
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次いで訪ねたのがアグラのタージ マハール 白い大理石造りの壮麗な建築物IMG_0015.jpg
カメラバックに足を掛けているのは盗難防止のため、撮影に気を取られていると荷物を
盗られることがある、と聞いていたのでカメラバックに足を載せることがくせになっていた。

今日はここまで

思い出の旅 [古い写真]

先日アルバムを引っ張り出し昔の写真を載せ、記事にしたが、印象深い旅だったので
その続きを書いてみます。
1976年暮れホルスの初妊牛を1頭売っていくらかまとまった金を作って、陸路をヨーロッパ
まで行く計画を立て、先ずシンガポールに飛んだ。丁度クリスマスで街は遅くまでにぎやか
だった。シンガポールの象徴マーライオンや熱帯植物園などを見たりして3~4日滞在
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次いでバンコクに移動、タイは仏教国で至る所に寺院や仏像が祭られていた。
IMG_0002.jpg特に大きいのがワット ポー(涅槃寺)の涅槃仏IMG_0003.jpg長さ46m高さ15mだとか
市内観光しながら他の旅行者と情報を仕入れたり、学生ではなかったが学生証を作って
くれるという話に乗って偽学生証を手に入れ、1月初めにインドに入った。カルカッタの
街はほこりっぽくていたるところに牛は居るし路上生活者 が居るし物乞いは寄って来るし
だいぶビビッた。IMG_0005.jpg
いよいよ陸路での旅の始り、まず立ち寄ったのがお釈迦様が悟りを開いたと言われる
ブッタガヤ。アショカ王により建立されたという大精舎をバックに記念撮影。IMG_0006.jpg
ネパールに向かう途中ガンジス川を渡る船から見た沐浴する人々と農村風景IMG_0007.jpg
列車とバスを乗り継ぎ着いたカトマンズは盆地で雪を頂いたヒマラヤの山々に囲まれ
ほこりっぽいインドから来ると雪山が清々しい感じがした。IMG_0008.jpg
ここでトレッキングの許可を取ったり靴を買ったり準備して、ポカラに移動、ポカラから
ダウラギリとアンナプルナ山塊の間を抜けるジョムソン街道といわれるルートを
トレッキング。宿というか民宿というか農家に泊まりながら約1週間の山歩き、途中で
見た段々畑と石臼で粉挽きを手伝う子供たち。IMG_0009.jpg

続く

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